楽に生きる!楽しく生きる!

どん底の人生から、とことん自分と向き合って、毎日に光を取り戻していく、22歳の今までとこれからのお話

他人本位

この世の中では、

 

わがままが良くない事と、一般的に定義づけられています。

 

でも、なんででしょう?

 

どうして、人生というものは、それぞれ自分自信でしか、歩む事ができないと、理解しているのに、わがままではいけないのでしょうか?

 

人に迷惑かけないように!

 

みんなに合わせて、同じことを!

 

相手の事をもっと考えて!

 

確かに、とても気遣いのある行為だなと思います。

 

しかし、果たして本質的にはどうなのでしょう?

 

人に迷惑をかける事が悪だとすれば、人と一緒いる事なんてできません。そもそも、存在自体、ある程度迷惑をかけるのは事実というか、当たり前な事でしょう。

 

みんなに合わせる事が、善ならば、自分の意見など、一つも言えなくなります。

 

相手の事を考えてと言いながら、本当は自分の事しか考えていない人間がこの世にいくらいる事でしょう。

 

わがままというと、聞こえは悪いですが、自分本位に生きるという事は、大切な事だと思います。

 

自分自身の人生、感情、夢、希望、そんな人間としての普遍的欲求を自身で認めてあげて、大切にしてあげる。

 

だからこそ、周りの人間を含めた、自然的な産物や環境にまで、大切にできるのではないでしょうか?

 

他人本位の人生は終わりにしましょう。

 

僕の人生は僕のものですし、皆さんの人生も皆さん一人一人のものです。

 

まず、そのかけがえのない人生をもっともっと愛するべきです。

 

誰も邪魔するものではありません。そのままでいいのです。

 

ありがとうございました。

パルタージュ

パルタージュ!!

 

フランスでは、幸せや喜びを他人と分かち合う事を、こう呼ぶそうです。

 

いい響きですね!

 

自分以外の幸せや喜びなどのプラスの感情に心の底から共感できるって素晴らしい、そう思います。

 

やっぱり、他人に嫉妬や優劣をつけてしまうのが、人間の性ですよね。

 

でも、こんな温かい心もあるんだ〜と思うこともあります。

 

そんな輪が広がればいいですね!!

 

 

ありがとうございます!

 

言えなかった言葉は、後で自分を苦しめる

僕は昔から、溜めすぎてしまう性質があります。

 

何もかも、自分で考えなければならないと、そう思ってしまうんです。

 

前にも書いた、マインドセット

 

全ての責任は自分にあるというのは、もちろんですが、それは、相手任せにしない、期待しない、という事ですよね。

 

色々と過去に苦い経験をしているので、どうしても、相手の立場にたって考えた時に、過剰な同情のような感情を抱く事があります。

 

むしろ、そこは相手自身の責任なんだって割り切る事が大切なんだろうと思います。

 

それが、相手のためにもなる。過剰な同情や期待は、一瞬の安らぎを与える事はできるかもしれないけれど、本質的に考えれば、その人自身の心の穴を埋める事にはならないんだろうなぁと思います。

 

僕も、言いたいことは言う。

 

好きなことは好きなだけするし、好きな人には好きな気持ちを好きなだけ、伝えていきたいと思います。

 

後で、自身に後悔したくないですしね。

 

人生を歩んでるのは、他でもない自分です。

 

なんか書いていて、スッキリしました。

 

読んでいただき、ありがとうございました!!

 

なんでここにいるんだ!!

何もかもが、よくわからない時があります。

 

自分に対してです。考えれば考えるほど、ドツボにはまっていきそうなんです。人それぞれ、ライフスタイルは違いますし、価値観の多様性もあります。

 

だからこそ、自分自身の専門家にならなくてはいけません!

 

そんな中、今の生活で、なにか僕の中で違うという思いがふつふつと湧き上がっています。

 

ここの場所は違うと、、

 

心の声が聞こえてきます。あとはその声に従うだけ…

 

なにも怯える必要なんてないんだよと自分におまじないをかけて、決心します。

 

早く上京したい。まだまだ、違う世界をみたい。だから行きます。

 

その中で、また新たな何かを感じる事が出来たらいいなと思います。

 

全ては自分の中に答えがあります。ちゃんと聞いてあげる、まずは自分の心を。

 

ありがとうございました!

皆さんが良い一日を過ごせますように!!

同じ事を繰り返しながら、違う答えを求めるなんて……

日々の習慣って凄く大切です。

 

毎日、毎日、無意識のうちに繰り返している言動は、自分の人生のいわば、方位磁針のようなものであって、基本的に疑う事はありません。

 

無意識、つまり潜在意識に組み込まれているプログラムは、通常、人間本来も自身の中で敵対する事はないんではないでしょうか?

 

だからこそ、この潜在意識の方向性を根本的に変える事が非常に重要なわけです。

 

人間の脳もハイテクなコンピュータと同じように、プログラミングされている動作を迷う事なく、正確に成し遂げようとします。ここで、ポイントなのが、そのプログラミングされている一つ一つの事に対して、しっかりと向き合い、問いただす事です。ただ、コンピュータのように、機械的に処理、実行するだけではなく、能動的に思考し、トライする事が、大事であると思います。

 

人間は皆、結果に対して目がいきがちですが、そもそも、過程を大きく変えずに新しい結果を生み出せるはずはありません。

 

この事は、誰しもが脳裏では、理解している事だろうと思いますが、実際には、頑固にプログラミングされた内容を変更する事は、なかなか安易ではありません。

 

まず、潜在意識が表に顔を出した時に、つまり自らの習慣化されている部分について、色々な方向性から吟味し、検討する事が必要事項だと思います。

 

僕も、ブログを書きながら、改めて、習慣について考える事が出来ました。

 

アウトプットできて良かったです。

 

読んでいただきありがとうございます!

茨木のり子さん

ぱさぱさに乾いていく心を……から始まるこの詩を皆さんはご存知ですか?

 

茨木のり子さんという方の作品!

 

自分の感受性くらい!です。

 

僕は、中学校の頃、国語の資料集でこの詩と出会いましたが、初めて、目を通した時は単純に心惹かれるものがありました。

 

全ての責任は自分にあるという、マインドセットと似ていますが、★自分の感受性は自分で守るものだ!という、厳しいようで、いかにも、人間の盲点をついているシンプルな思考が、心を突き刺します。

 

自身の心の形成は確かに、この社会で育まれた部分が、大いにあると思います。

 

色々な物事に影響されるのも生憎、仕方のない事かもしれません。

 

しかし、それでも、取捨選択し、日々を歩んでいるのは、紛れもなく自分自身である事も普遍的な事です。

 

まずは自分自身なのです。

 

どんな時も、自分自身です。

 

人や環境や時代のせいではありません。

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ!

 

 

読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

Don’t give up before you try it

約、1週間ぶりにブログを綴ります。

 

この1週間、気持ちの浮き沈みが結構激しくて、これからの人生について考え込んでる事が多かったですね!

 

やっぱり、変わるっていうのは難しいですね。人間の潜在意識に働きかけて、方向性を見定めていくのは、なかなか大変です。

 

と、思ってる時点で、やはり素直に変わらないでしょうね!

 

とにかく、きっかけはなんであれ、やるしかありません。

 

自分の人生は全て自分の責任で、全ての価値観、方向性、習慣なども、要は自分なのです。

 

頭ではわかっているんですけどね。でも、それは全人類においてでしょうね。そもそも、人間は全てうまくいくようにできてると思うんですよね。うまくいかないのは、自分からうまくいかないようにしているからですよね。

 

結局は自分です。そこを素直に認めて、向き合って、日々、高みを目指したいですね。

 

自分と闘ってる人って魅力的です。

 

ありがとうございます!